「ゆりかごの死―乳幼児突然死症候群(SIDS)の光と影」阿部寿未代著より抜粋
生後数カ月間の子供は、自分で寝返りがうてません。ですから、あおむけ寝で育つか、うつぶせ寝で育つかは、親が決めることです。
もともとは日本でも欧米でも、あおむけ寝あるいは横向き寝が主流でしたが、1930年代になってからアメリカで、「よく寝て手間がかからない」「頭の形がいびつにならない」などの理由でうつぶせ寝が始まりました。ヨーローッパでは、1970年代以降、イギリス、オランダ、北欧などに急速に広まりました。
オランダでは、1970年頃からうつぶせ寝が広まり始め、1980年頃には乳児の60%がうつぶせ寝で育つようになりましたが、ちょうど同じ頃、乳幼児突然死症候群(SIDS)による死亡も急増しました。1969年から1971年にかけて、オランダのSIDSは出生1000人に対して0.46人に過ぎなかったのに対して、1986年になると1.30人、1987年には1.13人と2倍以上に増えました。そこで、乳児検診や妊婦の健康指導に当たる国の機関Nationaal Kruisverenigingは、「うつぶせ寝をしないように」と指導をし始め、オランダのうつぶせ寝は急減し、1988年にはうつぶせ寝で育つ子は26.8%になりました。これに伴ってSIDSも激減し、1988年のSIDSは出生1000人に対してわずか0.76人と前年より一気に40%も少なくなりました。
イギリスでも、1991年10月にうつぶせ寝反対キャンペーンが始まり、その結果、1992年にはSIDSの数は前の年に比べて一気に46%も減少しました。
オーストラリアでは、1988年以来、(1)うつぶせ寝をしない、(2)赤ちゃんを暖めすぎない、(3)母親の妊娠中、あるいは子供の近くで喫煙を避ける、(4)できれば母乳で育てる、の4点を柱に、国を挙げてのキャンペーンが行われました。1988年頃には1000人に2人前後だったSIDSが、1993年にはわずか0.76人になりました。
ニュージーランドでも、1991年、(1)うつぶせ寝にしない、(2)母親の喫煙を避ける、(3)母乳で育てる、の3点を柱にキャンペーンが全国的に繰り広げられました。その結果、うつぶせ寝で育つ子供は、1年で全体の42%から2%まで減り、SIDSも出生1000人に対して6.3から1.3まで激減しました。
アメリカでも、1994年7月、NICHD(国立小児保健発達研究所)主導でうつぶせ寝反対の全国キャンペーンを開始し、1996年には、うつぶせ寝は24%(1992年70%)、SIDSは出生1500人に1人(1992年850人に1人)にまで減少しています。
日本では、昔からあおむけ寝が主流でした。戦後まもなく進駐軍の指導でうつぶせ寝が一時広まりましたが、日本式の柔らかい布団での窒息が続出したため、またあおむけ寝に戻り、その後はあおむけ寝育児が続いていましたが、昭和63年(1988年)~平成元年(1989年)頃、『平たい頭,胴長短足の日本人イメージは過去のもの』『欧米人のようなスタイルになる』という唄い文句に魅せられて、うつぶせ寝は瞬く間に全国的な大ブームとなりました。(日本がうつぶせ寝ブームに湧き立っているちょうどその頃、ヨーロッパでは,全く逆の「うつぶせ寝反対キャンペーン」が巻き起こっていました。)うつぶせ寝の流行に伴って、日本でも赤ちゃんの窒息死が急増しました。昭和63年に起きた赤ちゃんの窒息死は、奈良県が前年の5倍になったのを始め、各府県とも2~3倍に増えました。生後6カ月以内の赤ちゃんがほとんどで、いずれもうつぶせに寝かせたうえに家族が長時間目を離していた間に発生しました。加えて、たび重なる託児所での赤ちゃんの死亡事故が問題となりました。平成元年6月、横綱千代の富士の三女愛ちゃんがSIDSで死亡し、新聞、テレビ、週刊誌にも「乳幼児突然死症候群:SIDS」という文字が踊るようになり、全国的にこの病気の名前が知れ渡りました。
平成5年、「SIDS家族の会」が発足し、この病気に関する啓蒙活動を始めました。平成7年、うつぶせ寝で死亡した子供達の母親20人あまりが,「うつぶせ寝を考える会」を結成し、窒息事故が多いという側面からうつぶせ寝に警鐘を鳴らしています。
日本の場合、欧米と違って、原因不明の乳幼児の死亡の場合でもまず解剖されることがなく、たまたま死亡確認した臨床医(小児科医、産婦人科医、救急医など)が、死亡診断書に『SIDS』と書くか、『窒息』と書くかで、死亡原因が決定されているので、日本におけるSIDSの実態については不明な点も多いのが現状です。
うつぶせ寝は、SIDSのいくつかあるリスク因子のうちの一つですが、どこの国の統計でも、うつぶせ寝をやめさせることでSIDSの発生頻度は一気に減少しています。
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